歌川国亭筆『雪のあした』

category - 絵画Ⅰ浮世絵・錦絵
2017/ 06/ 02
                 
雪の日の井戸端会議
歌川国亭筆『雪のあした』(部分)「雪の日の井戸端会議」の様子

日本記念日協会に登録の6月2日の記念日に、「路地の日」がある。
由緒を見ると「歴史と文化の町、長野県下諏訪町には、昔からの裏道や路地が多い。このかけがえのない路地を愛し、その風情を楽しみ、いつまでも残していこうと活動を続けている「下諏訪の路地を歩く会」が制定。日付は6と2で「路地」と読む語呂合わせから。」・・・とある。
かつては中山道甲州街道が分岐する宿場として賑わった下諏訪町は、もともと信濃国諏訪郡の一部であった。平安時代には土武郷と呼ばれていたそうだ。
諏訪湖や八島ヶ原湿原、下諏訪温泉、諏訪大社などがある観光地で、諏訪大社の門前町として栄えた。

詳しくは本館「老いの愉しみ」の以下のページを見てください。


路地の日
                         
                                  
        

性病対策のためGHQが推奨し、協力した娼婦映画『夜の女たち』

category - 映画・演劇・舞台(ポスター・チラシ・パンフ等)
2017/ 05/ 26
                 
poー映画『夜の女たち』

戦時中の日本政府の言論統制に代わって、1949(昭和20)年、9月15日にGHQが発令したプレスコード(新聞・放送規定)は占領下の言論統制である。この規定により、同年11月には、戦時中に東宝映画により製作された『あの旗を撃て! 』など236本の映画が非民主主義的との理由で上映禁止・焼却の指令を受けたという。
これらの中には、軍国主義を鼓舞する映画は無論のこと、仇討、切腹をはじめ日本思想象徴とみられた富士山の写真の入ったものも含まれていた。例外は松竹映画のオープニング(OP)タイトルの富士山だけという笑えない話まである。
半面では,、戦時中に禁止されていたキスシーンが解禁され、1946(昭和21)年5月23日公開の松竹映画『はたちの青春』(監督佐々木康)では、大坂 志郎と幾野道子がオキシドール(過酸化水素水)を染み込ませた小さなガーゼをはさんで初めてのキスシーンを撮った。それでも大きな話題を呼び、映画館は連日満員になったという。
詳しくは本館「老いの愉しみ」の以下のページを見てください。


性病対策のためGHQが推奨し、協力した娼婦映画『夜の女たち』
                         
                                  
        

歌麿の春画

category - 絵画Ⅰ浮世絵・錦絵
2017/ 05/ 17
                 
歌麿画

1804(文化元)年の今日(5月17日)、 豊臣秀吉の京都の醍醐寺 三宝院裏の山麓において催された醍醐の花見を題材とした『太閤五女花見之図』が幕府の禁忌に触れるとして、喜多川歌麿手鎖50日の刑に処せられるれた。
歌麿は、葛飾北斎と並び、国際的にもよく知られる江戸時代の浮世絵師で、繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家であるが出生地・生年等は不明である。

詳しくは本館「老いの愉しみ」の以下のページを見てください。


歌麿が手鎖50日の刑に処せられた日

                         
                                  
        

「あーやんなっちゃった」(牧伸二)と昭和の日

category - 写真
2017/ 04/ 29
                 
強調文
漫談家牧伸二


2013(平成25)年の今日・4月29日は、1960~70年代、「あゝやんなっちゃったあゝ驚いた」というフレーズで社会風刺したウクレレ漫談「やんなっちゃった節」で一世を風靡し お茶の間の人気者になったウクレレ漫談家牧伸二(本名:大井 守常)が亡くなった日である。
彼は、15年戦争の只中、1934(昭和9)年9月26日、東京・目黒区に生まれる。
定時制高に通いながら東亜計器製作所に勤務。高校1年の頃牧野周一漫談をラジオで聞き、浅草の話術同好会「話術クラブ」に入る。この頃は楽器を持たない声帯模写を得意としていたようだ。

詳しくは本館「老いの愉しみ」の以下のページを見てください。


「あーやんなっちゃった」(牧伸二)と昭和の日
                         
                                  
        

シニアーズ・デー

category - 映画・演劇・舞台(ポスター・チラシ・パンフ等)
2017/ 04/ 28
                 
アニメ映画「テレビまんが 昭和物語」.
冒頭の画像はアニメ映画「テレビまんが 昭和物語」チラシ。


今日4月28日は「シニアーズ・デー」
作詞家・作曲家・プロデューサーとして知られる中村泰士が制定。
日付は、四(し)二(に)八(や)で「シニヤ」の語呂合せ。

中村泰士は、1939年(昭和14年)奈良県出身の、ちょうど私と同じ年代の人であり、77歳(満76)喜寿のお祝い(長寿の祝い歳参照)は2年前に迎えているはずだ。
1957年(昭和32年)美川鯛二として東芝(EMIミュージック・ジャパン全身)より歌手デビュー。以下で当時の懐かしいCDジャケットが見れる。
レコードジャケット 美川鯛二
1968年(昭和43年)、佐川満男の「今は幸せかい」(※1{歌ネット参照)で作曲家に転身。「わたしの青い鳥」(※1参照)「心のこり」(※1参照)「そして…めぐり逢い」(※1参照)などヒット曲を連発。1972年(昭和47年)には、ちあきなおみの「喝采」(歌詞は※1参照)で第14回日本レコード大賞、1982年(昭和47年)細川たかしの「北酒場」(歌詞はここ参照)で第25回日本レコード大賞と、日本レコード大賞を二度受賞するなど、数々のヒットメーカーとして知られている歌謡界の大御所だが、大手レコード会社を通じた仕事は1985年の「そして…めぐり逢い」(五木ひろし)を最後にその後活動は見られず作曲活動は“卒業”?と思われていたが、1995年(平成7年)に、奈良県知事選、翌1996年(平成8年)、第41回衆議院議員総選挙に出馬するも落選。大阪で大衆音楽活動を続けていた。
詳しくは本館「老いの愉しみ」の以下のページを見てください。

シニアーズ・デー


参考:
※1:歌ネット